70年代のアメリカを舞台に、ゲイカップルが、母親が薬中服役で施設に入れられたダウン症の男の子を引き取って育てるが、行政は「ゲイ」という一点のみでこの家庭を認めず、子どもを引き離す。
そしてゲイカップルを慕って施設を抜けだした子どもの死をもって、ドラマは終わる。
これは実話だそうです。
でも現代の、日本の、ヘテロの、正式な夫婦からも「個人の偏見」だけで子どもを引き離す事があります。
10年前の東京で、30代の夫婦が里親をしていました。
母親に育児放棄された赤子を乳児院から迎え入れ、ごくありふれた家族として3人は暮らしていました。
時が来て、法的な準備期間を終え、特別養子縁組の申し立てをした夫婦に、家庭裁判所の書記官は言いました。
「結婚3年経っていない夫婦は、まだまだ夫婦として未熟で、離婚する可能性があるから後2・3年待ちなさい」
そんな法律も条例も前例も何もない。
ただただ、その人の勝手な思い込みだった。
その頃、再婚を機に施設から実親に引き取られた子どもが虐待死させられる事件が立て続けに起きていた。
「2・3年待つ間に、この子が実親に引き取られ虐待死する可能性だってあるじゃないですか」
里親に抱かれている赤ん坊を前に、書記官の女性は、表情一つ変えずにこう答えた。
「その時には、それが、その子の運命です」
無論、こんな人ばかりではないのだろう。
だが気をつけた方がいい。
司法は、行政は、立法は、時として平気で人を殺す。
映画の中で、ゲイカップルの弁護士が法廷で訴えた言葉は、一言一句、あの時、赤ん坊を膝に抱いていた私の言葉だった。
「これはマルコがどこにいるのが幸せであるかを考えるための裁判ではないのですか
僕は法の隙間から零れ落ちる子供を救いたいのです
どうか彼に機会を与えてください
彼が施設へ行っても里親は一生見つからないでしょう
なぜなら知的障害があり背が低く太った男児を養子に欲しいと思う人間は一人もいないからです
しかし僕たちは違う
愛情をもって立派な大人に育ててみせます
どうか、彼に機会を与えてください」
私は弁護士ではなかったので、子どもの人権関連の本を何冊も出版している著名な弁護士を頼った。
勝負は一発でついた。
あの時の赤ん坊は、今、元気に我が家でスペクトラムな不登校中で~す\(^o^)/